2009年6月14日 (日)

お悔やみ2

プロレスリングNoahの社長でもあるプロレスラーの三沢光晴がまさかの試合中の事故で亡くなりました。

三沢と言えば二代目タイガーマスクとして全日本プロレスで活躍した頃を思い出します。 僕は所謂「プロレスブーム」真っ只中で夢中になった世代でもあるので「昭和プロレス」と呼ばれる頃のレスラー達が今でも好きです。

新日本や全日本が様変わり(世代交代なのかな)したり、総合格闘技系の団体が増える中で三沢や小橋のいるNoahだけは昭和のストロングスタイルのプロレスを継承しているように感じていました。 

まさか試合中のバックドロップが原因でこんな事になるなんて夢にも思いませんでしたが今はとにかく故人の冥福を祈るのみです。

これで全日本プロレスを牽引してきた選手達(馬場、鶴田、三沢)は皆故人となってしまいました。(現社長の武藤は勿論立派にやってますけど彼は元々新日のエースだった人なのでこの場合は別扱いです。) とても寂しい気がしました。

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2009年5月 3日 (日)

お悔やみ

忌野清志郎が2日に亡くなったとWEBニュースを通じて知りました。

僕が中学生になった頃、初めて聴いたのは確かFMで流れた「スローバラード」だったと思います。 なんとも不思議な声の人だなー、という印象でした。 その頃は日本のロックといっても甲斐バンドとか柳ジョージとレイニーウッド辺りの多少メジャーなバンドしか知らないしRCサクセションなんてそれこそ全く知識がありませんでした。

中学で最初に出来た友達がRCファンでカセットやLPを貸してくれたのですがやっぱりピンと来るものがなかったのですね、当時の僕には。 でも、当時大好きだった井上陽水のアルバム『氷の世界』収録の名曲「帰れない二人」を共作していると知って少なからず驚いた記憶があります。 その後、坂本龍一との「いけないルージュマジック」などでTVでも見かける事が多くなりましたが僕にはどうしてもキワモノぽく映ってしまうのでした。

高校生になってからはほぼ洋楽、しかもハード・ロックやメタル中心に聴いていて全く関心が無くなっていました。 清志郎が良いなと思うようになったのは92年のアルバム『メンフィス』辺りからだと思います。僕自身がソウルミュージックやR&Bに多少傾倒し始めていた事も手伝ってようやく清志郎のルーツがそっちにあった事、歌唱時のフェイクなどがオーティス・レディングなどから影響を受けているのだと言う事を知りました。 そしてスティーヴ・クロッパーらとの交流なども極自然な流れだという事が後になって分かるようになりました。

歯に衣着せぬ発言や派手なパフォーマンスだけでなく、そうした音楽への造詣が同業者への信頼の厚さにも繋がったのではないかと思ったりもします。売れようが売れなかろうが自分の好きなようにやる姿勢は本当の意味での音楽馬鹿だと思いますし心底カッコ良いオヤジだったなぁと思います。

心よりご冥福をお祈りします。

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